令和六年 西暦2024年 皇紀2684年 甲辰 三碧木星 歳 十二月 丙子 四緑木星 節 |
十四日(土) |
壬子 三碧木星 日 赤口 |
旧暦十一月十四日 十二客建 廿八宿氏 |
東京高輪泉岳寺義士祭 |
八専始め 一粒万倍日 |
暦要項とは、国立天文台が計算した翌年の暦をまとめて、毎年二月最初の官報に掲載されるものです。
日本国におけるの公式の暦として作成される「暦象年表」の冊子から主要項目を抜粋したものです。
法律に具体的な日付が記載されていない「春分の日」と「秋分の日」は、この「暦象年表」という小冊子に基づいて閣議で決定され確定される。
国民の祝日・日曜表・二十四節気および雑節。朔弦望など、翌年の暦の本を作成するのに必要な情報があります。
暦には各日の色々な情報が記載されています。日と曜日・干支・九星・六曜・十二客など。
普通のカレンダーは、日と曜日で予定を考えますが、暦の本には占いに関する暦注の情報があるので、それを利用して目的のために良い日などを考えるのですが、すべての暦注で良い吉日を選ぶのは不可能に近いのです。
各日の暦注を縦に読み吉凶を考えると、吉となる暦注と凶となる暦注が出て来るので、日を占い定めることが大変難しくなり、迷ってしまいます。
だから、「暦は縦に読まず横に読む」と言って、吉凶を観て日を選ぶ場合は、暦は暦注を横に読むのです。
日の吉凶を干支から観て日を選ぶ場合は、暦注の干支を横に読んで日を選びます。また、雑の一部(八専など)は、干支と関係があります。
九星気学で方位が良い日を選ぶなら、その星(年盤・月盤・日盤)を選定し、暦注の九星(それと、破の方位は支の反対側。)を横に読んで行きます。
十二客(十二直とも言う)なら、基準寳暦の7ページの、十二の星の中から目的に合わせて選んで、暦注の十二客をずっと横に読んで行き日を選びます。
昭和初期まで十二直が重視されていたそうですが、近年は六曜や九星の暦注を重視する人が多く、昔ほどは使われなくなっています。
暦は地球・太陽・月など働きの天文を元として、時を定めていると言えるでしょう。
暦要項は、翌年の暦をまとめて、毎年二月最初の官報に掲載されるもので、国立天文台が計算し発表します。その内容は、国民の祝日・日曜表・二十四節気および雑節・朔弦望・東京の日出入などです。
旧暦(太陰太陽暦)は月の朔望周期(満ち欠け)を基に定めていて、新月が朔日(ついたち=一日)となります。太陰太陽暦は太陽暦と生じる誤差を補正するために閏月を用います。
現在の二十四節気は一年を太陽との二四分割の角度(定気法)で計算しています。春分の日を太陽黄経〇度と取り、三六〇度を二四等分した、一五度毎に当る日が二十四節気です。
すなわち、毎年、太陽との角度が同じ日を迎えて、季節を迎える時を表します。
立春(太陽黄経三一五度)を新年の始りとします。彼岸は春分と秋分の前後の3日ずつの計7日間です。
天保暦より前の時代は、一年の日数を二四等分(平気法)して二十四節気を決めていたそうです。
現在は四季の土用も、二七度・一一七度・二〇七度・二九七度と太陽黄経より計算し、国立天文台が発表します。
九星気学や四柱推命などの東洋運命学は、この二十四節気の節を基に、年や月の干支や九星を計算するので、それぞれの節入り日を必要とします。
事前に計算し編集された万年暦もありますが、毎年の暦は正確で便利なものなのです。
現在の暦は、「太陽暦」と言います。
日本では、明治に太陽暦に改暦される前に使っていた「天保暦」を「旧暦」として使っています。
旧暦では月が朔(さく)、すなわち新月になる日を、月の始まりとします。
月の始まりを「月立ち」から転じて「ついたち」と言い、各月の一日を朔日(ついたち)と言います。また、「朔」だけでも「ついたち」とも言います。
また、十五日が望なので、十五夜の月が満月です。そして、月の満ち欠けを朔望(さくぼう)と言います。
旧暦の三十日間の月を「大の月」、二九日間の月を「小の月」と言います。
新月から新月まで約二九日半の間隔あり、十二ヶ月間で約三五四日が旧暦の一年なので、太陽暦の一年より約十一日短いのでずれて来ます。
旧暦では、暦と季節のずれが大きくなってきて、ひと月分に近くなると、閏(うるう)月を入れて修正しました。
閏年は十三ヶ月間あると言うとになります。昔は年棒制で、閏年に一月多いのは生活に負担があるから、閏年は墓を建てない風習がありました。
六曜は旧暦より求め、朔日から順に割り当てられます。正月と七月は先勝から。二月と八月は友引から。三月と九月は先負から。四月と十月は仏滅から。五月と十一月は大安から。六月と十二月は赤口からです。
廿七宿も旧暦から求めます。
「中秋の名月」は旧暦の八月十五日の夜の月のことを言います。
土用(どよう)とは土旺用事(どおうようじ)の略です。各土用の最初の日を土用の入りと言い、土用の最後の日は節分です。立春・立夏・立秋・立冬の四立の直前で、五行で土の期間であり季節の変わり目です。
四季に、それぞれ木・火・金・水が割り当てられ、次の季節の気へと移り変わる期間に五行の土が当てはまり、それが土用です。一年を五行で五等分し、そして、土を四等分し四立の前に配します。
定気法で太陽黄経が、二七度・一一七度・二〇七度・二九七度となる日が土用の入りの日であり、国立天文台より暦要項にて発表されます。
土用の期間は、土の気が土の気が旺(さかん)になるから、動土・穴掘りなど、土を犯す作業が忌まれる。しかし、土用期間に入る前に作業を開始して土用期間に作業をし続けるのは差し支えないそうです。
また、土用の期間は新しく始めることや、転宅や旅行などの移動も避けた方が良いとも言われています。
そして、「土用の間日(まび)」は土用の障りがないとします。
春の土用は、巳・午・酉の日が間日。
夏の土用は、卯・辰・申の日が間日。
秋の土用は、未・酉・亥の日が間日。
冬の土用は、寅・卯・巳の日が間日。
「土用の食い養生」により、春の土用の丑の日は「い」。夏の土用の丑の日は「う」。秋の土用の丑の日は「た」。冬の土用の丑の日は「ひ」の付く物を食べると良いと言われる。特に江戸時代からの風習で、夏の土用の丑の日に鰻を食べるのが有名です。
暦注(れきちゅう)とは、暦に記載された日付・曜日・月の朔望・行事などの内容のことです。
暦注は普通は上段と中段と下段とがあると言われますが、基準寳暦は上段と下段です。
上段とは暦注の上方に記載される日付や曜日・干支・二十四節気・雑節(節分や土用など)・月の朔望・年中行事です。天文学と関係があるので、国立天文台より発表される暦要項より求めるのが正式となります。
一般に中段は十二直ですが、基準寳暦では十二客として下段に入っています。昔は十二直が良く用いられていたそうです。
下段は九星・六曜・二十八宿など。そして選日または雑注(ざっちゅう)と言い、基準寳暦では雑となっている欄です。
九星は年と月は隠遁と言って逆に繰り、九紫の次は八白と減って行き、日は陽遁と隠遁がある。
六曜は旧暦の朔日から繰る。旧暦二月・八月は朔日が友引。旧三月・九月は先負。旧四月・十月は仏滅。旧五月・十一月は大安。旧六月・十二月は朔日が赤口。
十二客は節月の十二支と同じ最初の支の日に「建」を割り当てて繰ります。
二十八宿は28日毎に循環します。
雑注の八専・十方暮・天一天上・三伏日・天赦日・一粒万倍日などは干支から求め、不成就日は旧暦から求めます。
中段と下段は吉凶占いに関するものですが、迷信的とされるものです。
しかし、十干・十二支(干支)は年・月・日などの時も表すので上段になります。
秋分の日と春分の日の、三日前の日を「彼岸の入り」と言い、秋分の日と春分の日の、三日後を「彼岸の明け」と言い、その七日間を彼岸と言います。
彼岸と言う言葉は仏教用語から来ていて、涅槃(ねはん)に達した境地を意味します。
そして、秋分の日と春分の日は、彼岸の中間になるので「彼岸の中日」と言われています。
秋分の日を明治時代に、「秋季皇霊祭〔しゅうきこうれいさい〕」の祝日と定め、宮中において祖先をまつる日となった事から、市民の間でも定着して行きましたが、昭和二二年に廃止されました。
昭和二三年に、「祖先を敬い、亡くなった人を忍ぶ日」として、秋分の日が国民の祝日に制定されました。
秋分の日は毎年九月二三日頃ですが、祝日法の上では太陽が真東から上がって、真西に沈み昼と夜の長さが同じになる 「秋分日」であり、地球が秋分点を通過する日です。
国立天文台が作成する『暦象年表』という小冊子に基づいて閣議で決定され、毎年二月の最初の官報に、翌年の暦をまとめて「暦要項」として、掲載し発表されます。
基準寳暦は、この「暦要項」を基にして作成しています。
皆様は、春彼岸と秋彼岸に、お墓詣りはされているでしょうか。
毎月お墓詣りされておられる方は、気にする必要はないと思いますが、されてない方は彼岸の前か彼岸の期間に、お墓掃除をして吉相墓を綺麗に保って下さい。
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各人の運勢と詳しい説明、各章の解説等、記事の充実に勤めました。特に「気学の手引」、「四柱推命」は、他の暦では見られない一大特色です。企業経営に、家庭に、一年をとおしての良きコンサルタントとしてご利用頂けることと確信しております。
224ページ 光沢紙カラー刷り表紙・裏表紙 白色上質紙本文 半透明紙方位図 幅13cm 高さ18.7cm 厚み1.1cm
上段「日・曜日・干支・年中行事」
下段「旧暦・九星・六曜・十二客・廿八宿・雑注」
日曜と祝日の休日と、大安が、網掛けになっていて、見やすくなっています。
九星気学は基準寳暦をお読みください
本命を調べるのには、基準寳暦の見開きや、p.162「年号・干支・九星と西暦照合表」をお読みください。
生まれ月の九星は、生まれ年の支より、基準寳暦のpp.198-202よりもとめてください。
基準寳暦のpp.46-63には、本命ごとの九星より見た、毎年の方位・毎月の方位、毎年・毎月の運勢、吉方位が分かりやすく掲載されています。ぜひともご購読ください。
基準寳暦には、地図に合わせて方位が見やすい様に、半透明紙の方位図が付いています。
基準寳暦の執筆者
印象堂 内山雅史 先生「人間に人相、印に印相 」
あなたと健康 五来宏之 先生「行事食と日本の年中行事 」
アストロクインス・潮 代表 佐々木理香 先生「西洋占星学」
庚子塾 副塾長 渡邉 徳證 先生「四柱推命学入門 」
徳泉会 代表 田口博康 先生「新生児命名のしるべ 」
近藤千雄 先生「本年の大勢 」
徳風会 会長 竹谷聰進 先生「墓相と家運 」
徳風會・祭祀研究所 編集部
徳風会 三代目 竹谷聰進 pp.208-211「墓相と家運」
pp.208-210は、墓相を箇条書きで説明しています。/墓のない家庭/墓地の地形/墓の向き/樹木と墓/墓地の土/墓石の台石/墓石の竿石/石塔の文字/建立の順位/墓石の質/木標と土葬/本家と分家/住宅と墓/墓の移動とその他/吉相の墓/戒名について/墓参り、供養その他の注意/以上です。
p.211は、お墓の見方を絵を使って説明しています。
p.212「結婚と墓相」は、墓は家の根であり家運の基であることを説明しています。
pp.212-213「仏壇の祀り方」は、仏壇の祀りによる吉凶と、宗派による本尊と脇侍を掲載しています。
祭祀研究家 竹谷泰則 pp.216-222「吉相墓入門」
pp.216-217は、「吉相墓」の解説です。「吉相墓」は、ご先祖様を手厚く祀り、祖孫の繁栄と家系の安泰を願う大切な家の根であり、ご先祖様の感謝の心を形にしたものです。
pp.218-221は、墓の吉相です。毎年、順番ごとに「吉相墓」の各項目の解説が掲載されます。
p.222は、本家「吉相墓」/分家「吉相墓」/二重枠「吉相墓」/の見本の絵です。
p.206「家庭の祭祀」は、神棚の祀り方など。「家庭の儀式と行事」は、七五三祝や還暦祝いなど。
p.207「服忌表」服忌(ぶっき)とは、親族が亡くなった時に喪に服する期間。
p.214「徳風会とは」は、正しい先祖祭祀の方法をお教えし、陰徳浄行で徳を積み、子孫の幸福と発展を願う浄行団体である説明。
p.214「慰霊塔供養とは」は、有縁、無縁墓、合祀の供養塔の説明。
p.214「地蔵尊影の奉流」地蔵尊影奉流(地蔵流し)の説明。
p.215「放生会」は、追善または生存者への追善を目的とします。陰徳の一つです。
h.3「年忌暦」は、年回忌の表です。年忌が回ってきた年を網掛けで表しています。
「暦が出来るまで」修者 紀藤元之助
竹谷先生多年の懸案だった「良い暦作り」の企画が具体化したのは昭和三十七年の夏頃だった。私が御相談を受けたのは、それより半年ほど前で、東京の有楽町で会合をもった時だったように思います。
やがて、徳風会出版社という会社を作って、門下に編集・事務をやらせるから、顧問になって監修を引き受けて欲しい、と言われたから、顧問という肩書きはご遠慮申し上げるが、御趣旨には全面的に賛成なので、監修の方は喜んでお手伝いいたします、とお引き受けしたのだった。
暦の表紙は「一富士、二鷹、三なすび」で、富士は北斎の赤富士を模した朝焼富士であるがこのアイデアは、竹谷先生の選択による。
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発行者 竹谷泰則
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