令和六年 西暦2024年 皇紀2684年 甲辰 三碧木星 歳 四月 戊辰 三碧木星 節 |
十九日(金) |
癸丑 二黒土星 日 先勝 |
旧暦三月十一日 十二客納 廿八宿婁 殻雨 二三時〇〇分 |
(八専)間日 五相伝 |
暦要項とは、国立天文台が計算した翌年の暦をまとめて、毎年二月最初の官報に掲載されるものです。
日本国におけるの公式の暦として作成される「暦象年表」の冊子から主要項目を抜粋したものです。
法律に具体的な日付が記載されていない「春分の日」と「秋分の日」は、この「暦象年表」という小冊子に基づいて閣議で決定され確定される。
国民の祝日・日曜表・二十四節気および雑節。朔弦望など、翌年の暦の本を作成するのに必要な情報があります。
暦には各日の色々な情報が記載されています。日と曜日・干支・九星・六曜・十二客など。
普通のカレンダーは、日と曜日で予定を考えますが、暦の本には占いに関する暦注の情報があるので、それを利用して目的のために良い日などを考えるのですが、すべての暦注で良い吉日を選ぶのは不可能に近いのです。
各日の暦注を縦に読み吉凶を考えると、吉となる暦注と凶となる暦注が出て来るので、日を占い定めることが大変難しくなり、迷ってしまいます。
だから、「暦は縦に読まず横に読む」と言って、吉凶を観て日を選ぶ場合は、暦は暦注を横に読むのです。
日の吉凶を干支から観て日を選ぶ場合は、暦注の干支を横に読んで日を選びます。また、雑の一部(八専など)は、干支と関係があります。
九星気学で方位が良い日を選ぶなら、その星(年盤・月盤・日盤)を選定し、暦注の九星(それと、破の方位は支の反対側。)を横に読んで行きます。
十二客(十二直とも言う)なら、基準寳暦の7ページの、十二の星の中から目的に合わせて選んで、暦注の十二客をずっと横に読んで行き日を選びます。
昭和初期まで十二直が重視されていたそうですが、近年は六曜や九星の暦注を重視する人が多く、昔ほどは使われなくなっています。
暦は地球・太陽・月など働きの天文を元として、時を定めていると言えるでしょう。
暦要項は、翌年の暦をまとめて、毎年二月最初の官報に掲載されるもので、国立天文台が計算し発表します。その内容は、国民の祝日・日曜表・二十四節気および雑節・朔弦望・東京の日出入などです。
旧暦(太陰太陽暦)は月の朔望周期(満ち欠け)を基に定めていて、新月が朔日(ついたち=一日)となります。太陰太陽暦は太陽暦と生じる誤差を補正するために閏月を用います。
現在の二十四節気は一年を太陽との二四分割の角度(定気法)で計算しています。春分の日を太陽黄経〇度と取り、三六〇度を二四等分した、一五度毎に当る日が二十四節気です。
すなわち、毎年、太陽との角度が同じ日を迎えて、季節を迎える時を表します。
立春(太陽黄経三一五度)を新年の始りとします。彼岸は春分と秋分の前後の3日ずつの計7日間です。
天保暦より前の時代は、一年の日数を二四等分(平気法)して二十四節気を決めていたそうです。
現在は四季の土用も、二七度・一一七度・二〇七度・二九七度と太陽黄経より計算し、国立天文台が発表します。
九星気学や四柱推命などの東洋運命学は、この二十四節気の節を基に、年や月の干支や九星を計算するので、それぞれの節入り日を必要とします。
事前に計算し編集された万年暦もありますが、毎年の暦は正確で便利なものなのです。
現在の暦は、「太陽暦」と言います。
日本では、明治に太陽暦に改暦される前に使っていた「天保暦」を「旧暦」として使っています。
旧暦では月が朔(さく)、すなわち新月になる日を、月の始まりとします。
月の始まりを「月立ち」から転じて「ついたち」と言い、各月の一日を朔日(ついたち)と言います。また、「朔」だけでも「ついたち」とも言います。
また、十五日が望なので、十五夜の月が満月です。そして、月の満ち欠けを朔望(さくぼう)と言います。
旧暦の三十日間の月を「大の月」、二九日間の月を「小の月」と言います。
新月から新月まで約二九日半の間隔あり、十二ヶ月間で約三五四日が旧暦の一年なので、太陽暦の一年より約十一日短いのでずれて来ます。
旧暦では、暦と季節のずれが大きくなってきて、ひと月分に近くなると、閏(うるう)月を入れて修正しました。
閏年は十三ヶ月間あると言うとになります。昔は年棒制で、閏年に一月多いのは生活に負担があるから、閏年は墓を建てない風習がありました。
六曜は旧暦より求め、朔日から順に割り当てられます。正月と七月は先勝から。二月と八月は友引から。三月と九月は先負から。四月と十月は仏滅から。五月と十一月は大安から。六月と十二月は赤口からです。
廿七宿も旧暦から求めます。
「中秋の名月」は旧暦の八月十五日の夜の月のことを言います。
土用(どよう)とは土旺用事(どおうようじ)の略です。各土用の最初の日を土用の入りと言い、土用の最後の日は節分です。立春・立夏・立秋・立冬の四立の直前で、五行で土の期間であり季節の変わり目です。
四季に、それぞれ木・火・金・水が割り当てられ、次の季節の気へと移り変わる期間に五行の土が当てはまり、それが土用です。一年を五行で五等分し、そして、土を四等分し四立の前に配します。
定気法で太陽黄経が、二七度・一一七度・二〇七度・二九七度となる日が土用の入りの日であり、国立天文台より暦要項にて発表されます。
土用の期間は、土の気が土の気が旺(さかん)になるから、動土・穴掘りなど、土を犯す作業が忌まれる。しかし、土用期間に入る前に作業を開始して土用期間に作業をし続けるのは差し支えないそうです。
また、土用の期間は新しく始めることや、転宅や旅行などの移動も避けた方が良いとも言われています。
そして、「土用の間日(まび)」は土用の障りがないとします。
春の土用は、巳・午・酉の日が間日。
夏の土用は、卯・辰・申の日が間日。
秋の土用は、未・酉・亥の日が間日。
冬の土用は、寅・卯・巳の日が間日。
「土用の食い養生」により、春の土用の丑の日は「い」。夏の土用の丑の日は「う」。秋の土用の丑の日は「た」。冬の土用の丑の日は「ひ」の付く物を食べると良いと言われる。特に江戸時代からの風習で、夏の土用の丑の日に鰻を食べるのが有名です。
秋分の日と春分の日の、三日前の日を「彼岸の入り」と言い、秋分の日と春分の日の、三日後を「彼岸の明け」と言い、その七日間を彼岸と言います。
彼岸と言う言葉は仏教用語から来ていて、涅槃(ねはん)に達した境地を意味します。
そして、秋分の日と春分の日は、彼岸の中間になるので「彼岸の中日」と言われています。
秋分の日を明治時代に、「秋季皇霊祭〔しゅうきこうれいさい〕」の祝日と定め、宮中において祖先をまつる日となった事から、市民の間でも定着して行きましたが、昭和二二年に廃止されました。
昭和二三年に、「祖先を敬い、亡くなった人を忍ぶ日」として、秋分の日が国民の祝日に制定されました。
秋分の日は毎年九月二三日頃ですが、祝日法の上では太陽が真東から上がって、真西に沈み昼と夜の長さが同じになる 「秋分日」であり、地球が秋分点を通過する日です。
国立天文台が作成する『暦象年表』という小冊子に基づいて閣議で決定され、毎年二月の最初の官報に、翌年の暦をまとめて「暦要項」として、掲載し発表されます。
基準寳暦は、この「暦要項」を基にして作成しています。
皆様は、春彼岸と秋彼岸に、お墓詣りはされているでしょうか。
毎月お墓詣りされておられる方は、気にする必要はないと思いますが、されてない方は彼岸の前か彼岸の期間に、お墓掃除をして吉相墓を綺麗に保って下さい。
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各人の運勢と詳しい説明、各章の解説等、記事の充実に勤めました。特に「気学の手引」、「四柱推命」は、他の暦では見られない一大特色です。企業経営に、家庭に、一年をとおしての良きコンサルタントとしてご利用頂けることと確信しております。